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アンティークジュエリーに纏わる情報とエピソード


by Infanta_ayan
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アール・デコの黒

1926年、パリの街には黒いドレスを着た女性達が溢れ返っていました。それまでの価値観をひっくり返し、「黒い服=エレガント」という美意識を、ついにココ・シャネルが世間に認めさせたのです。それまで、「黒いドレス」といえば喪服、或いは40歳を過ぎた女性が自らを老人とみなして身に着けるドレスに他ならず、「黒」はお洒落とは対極にある色でした。エレガントな女性達が、昼に着るドレスに「黒」を選ぶということは、決して有り得ないことだったのです。
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写真1 アール・デコリング/写真提供 ソング・オブ・ロシア

混迷の世紀末を超えて、20世紀に入ると、それまで厳しかったモラルの枠が急に緩みだし、人々は、徐々にではありますが新しい時代の新しいスタイルを模索し始めていました。

色彩における最初の衝撃は、1909年ディアギレフ率いるロシア・バレー団、バレエ・リュスによってもたらされました。パリのシャトレ劇場での公演が大成功を収め、とりわけバクストの衣装と舞台装置の極彩色のエキゾチシズムが、当時の芸術家達に大きな影響力を与えたのです。

服飾デザイナーのポール・ポワレも1910年代を通して、東洋にアイディアを得たドレスの数々、それまでの18世紀的な趣味の淡い色彩を打破する大胆な色使いのドレスを次々を発表し「モードの帝王」と呼ばれるようになりました。そこで黒は単に、赤や紫やオレンジなどの鮮やかな色とのコントラストを強調する色、あるいは引き立てる色として用いられました。人々はオリエンタリズムに酔いしれ激しい色の対比が作り出す新しい世界に魅せられたのです。

第一次世界大戦の終りと共に、貴族や一部の上流階級が贅を凝らした最後のエレガントな時代は終りを告げました。1920年代に入ると日常生活に工業製品が満ち溢れ、「便利さとスピーディーさ」が、ライフ・スタイルとモラルを大きく変えていきました。戦争中、男性の代りに社会に出ることで手に入れた自由を手放す気など、女性達にはもはやありませんでした。そんな中で、若手の気鋭の美術家達が、これまでの装飾的なアール・デコを批判し一切の装飾を排したモダニズムを推しました。1925年に開催された「アール・デコ展」を境に、その勢力は徐々に逆転していきます。そして、工業製品を基礎と置く一切の装飾を排したデザインは、新たな色彩を作り出しました。銀やスチール、モノクロームの無機質な輝きと、あらゆるごたごたした色彩を捨て去った黒で表現したのです。

第二の衝撃は、アメリカからやってきました。1925年、「レヴュ・ネグル」すなわち黒人レビューがシャンゼリゼ劇場に登場し、ジョセフィン・ベイカーの躍動する肉体に人々は新しい美を見出し、「褐色の女王」としてセンセーショナルな人気を博しました。ディアギレフ率いる「バレエ・リュス」に魅せられたのは一部の上流階級やブルジョワ達でしたが、今度は一般大衆がジョセフィン・ベイカーやジャズに熱狂する時代、流行の担い手となる時代になったのです。
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写真2 ジョセフィン・ベイカー

こうした時代背景の中で、シャネルが作った「リトル・ブラック・ドレス」は、徐々に女性達に支持され、黒いドレスを着た女達でやがて街は埋め尽くされていきました。2点のリングの下、マットなオニキスにダイヤモンドの輝きを添えたモダンなリングは、こうした黒のドレスを選ぶ女性達が如何にも好みそうなデザインです。一方、上の優雅な中にもエメラルドとオニキスのシャープさが際立つリングは、第一次世界大戦前、上流階級の人々が遥か遠く、東方に思いを馳せオリエンタルな夢に酔っていた時代を偲ばせます。こうしたエキゾチシズムの色彩の海を越えて、はじめて「黒」は「現代的な色」として見出されたのです。
by infanta_ayan | 2004-09-17 02:13 | AntiquePrelude