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アンティークジュエリーに纏わる情報とエピソード


by Infanta_ayan
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Pearl 慈しまれた時 

「昔からヨーロッパでは娘が誕生すると、お誕生日ごとに一粒づつ真珠をプレゼントする」そんな習慣があると少女の頃知り、淡い憧れを抱いていました。一粒づつ贈られた真珠がやがて、年頃になると一本のネックレスになる。愛情と長い時間をかけなければ成立しないプレゼントに、ヨーロッパの伝統を感じていました。
・・・けれども、現代の真珠業界の常識として「ネックレスはサイズ、照り、巻き、色調を揃えて組まなければ、美しいネックレスを作ることは不可能」と、一粒づつ真珠を購入して一本のネックレスを作ることの困難さを訴えているのを知るにつれ、あれは、エッセイストが聞きかじったことを書いただけだったのかしら・・・? と、真偽のほどが気にかかりながらも確かめる術もなく、いつの間にか忘れてしまいました。
Pearl 慈しまれた時 _b0017697_2581531.jpg
写真1 ロマノフ一家
 再び、そのことを思い出したのは最後のロシア皇帝、ニコライ2世一家の写真集を見ていた時です。写真集の解説に「アレキサンドラ皇后は、16歳になった時にはネックレスとブローチが作れるように娘達のお誕生日ごとに宝石とダイヤモンドを一粒づつプレゼントした。」とありました。
それ以上のことは、なにも書かれていませんでしたが沢山ある写真を見ていくと一家の正装した写真(1)がありました。そこには、9歳のオルガ、7歳のタチアナ、5歳のマリア、3歳のアナスタシアが銘々真珠のネックレスを着けていたのです。一本全て真珠で作られたネックレスではなく、それぞれの年齢に見合った数の真珠を繋ぎ、首の長さに足りない部分は金属のチェーンを足したネックレスを着けている様子が、首の辺りを見ると良く解ります。
Pearl 慈しまれた時 _b0017697_253338.jpg写真2 アナスタシア&マリア
そして、ティーンエイジャーに成長した写真(2)では、もう金属のチェーンで真珠の不足分を足さずに『一本の真珠のネックレス』を身に着けて微笑でいます。
 もちろん、いくつかの疑問はあります。「一年で一粒だと16歳では一本のネックレスは不可能ではないのか?」「当時、世界でも有数の裕福なロマノフ家だったら、一粒ずつではなく毎年ネックレスを贈ることすら可能なのに?」

 最初の疑問は簡単に解けました。当時のロシアの王室では、お誕生日の他にも自分の守護聖人の日、イースターにもお祝いのちょとした宝飾品をプレゼントする習慣がありました。ですから、年に3回~4回(クリスマスも入れれば)プレゼントされる機会があれば16歳になるとちゃんとネックレスが完成します。 何故16歳なのかというと、当時、社交界にデビューする年齢に達したということで、それまで下ろしていた髪をアップに結い上げ、淑女として扱われる・・・つまり結婚相手を探す年齢になったことを意味しているからです。

 二つめの疑問は、あくまで推察の域を出ませんが、一つには、アレクサンドラはロマノフ家とは違い、質素な公国で贅沢とは無縁に育ったこと。もう一つには、娘達に贈った真珠やダイヤは、財産とはまるで別の「メモリアルなもの」「パーソナルなもの」として考えていたのではないかと思うのです。 ロマノフ家には、先祖伝来の宝石がそれこそ沢山ありますし、娘達が嫁ぐときには新たに誂えさせる物も含め相当の物を持たせることになったでしょう。アレクサンドラ皇后がそうであったように、娘達もまた、ロイヤルファミリーとして生まれた以上、何れは他国に嫁がなくてはならない運命です。やがて遠い異国の地へ旅立つ時、幸福な娘時代や家族の固い絆の証として、生まれてから毎年贈られ共に成長してきた真珠のネックレスを見る度に家族を思い出す事を、ニコライやアレクサンドラは望んでいたのではないでしょうか?

そして、この指輪の真珠も世代を超えて伝えられたものらしく、『作り変えられた』跡が見られます。使われているハーフ・パールは、もともとロマノフ家の大公女達のように、未婚の女性達によってよく身に着けていたような小さな真珠のネックレスだったものを、指輪に作り変えたようです。真珠を半分に割ったその中心には。小さな半円の穴が開いています。明らかにこの穴は真珠を半分に割る以前。真円だった時にネックレスとして使用する為に糸を通していたものです。当時は今とは比べ物にならない程、真珠の価値が高かった為に、このように小さな真珠でも何度も加工し直し、とても大切に扱ったのでしょう。でも何故、ネックレスを指輪に作り変えることになったのか、このネックレスの持ち主は娘が多かったのでしょうか? それとも、没落し、銘々にネックレスを与えることが出来なくなってしまったのでしょうか・・・? この美しい指輪を見ていていると、どんな経緯があって作り変えられたのか様々に想像が膨らんでゆきます。
Pearl 慈しまれた時 _b0017697_2583244.jpg
写真2 指輪 ニコライ2世とアレクサンドラは、当時のロイヤル・カップルとしては異例の相思相愛の夫妻でした。娘達との絆も強く仲の良い家族で、長女のオルガに外国の王家への結婚話があった時にも、オルガは「私はロシアを愛しているので、他国へは嫁ぎたくありません。」と拒否しました。その結果、オルガも1918年の革命で 家族と運命を共にし、命を落とすことになります。
 単なる財産でも、身を飾る宝飾品でもなく、慈しまれた日々を刻んだ証としてのジュエリー。天然真珠の清楚な美しさは、富でも権力でもなく、こうした思いを託して娘達に伝えるのに何よりも相応しい宝石だと、ロマノフ家のアルバムを見るとそう思えるのです。
by infanta_ayan | 2004-09-16 03:10 | AntiquePrelude